あけがらす

え?何だって、ばあさん。時次郎が帰らない?、帰らないってまだ宵の口だよ。あいつももう二十歳なんだ。そんな、大学の友達とどっか行くこともあるだろう。いつもいつも家に帰ってきては本ばかり読んでいる。週刊ブックレビューのアシスタントや児玉清だってあんなに本ばかり読まないよ。
もうしわけありませんっ!
わ!何だ何だいきなり。うちにつくなり土下座する奴があるか。
ええ、お父様。大変に帰りが遅くなりました。申し訳ありません。
いやいや、遅くないよ。まだ夕方の6時じゃないかね。
学校が終わりまして、帰ってきたのでございます。帰りがけの神社で、今日はお祭りなんでございましょう。子供たちがわいわいと遊んでおりました。それで、子供たちを見ていますと、お兄ちゃん太鼓を教えてよと、そう言われたもんですから、子供たちと太鼓をてんてーんと打っておりました。そうして気が付いたらこんな時間になってしまいました。相すみません。
いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。いいから手をあげなさい。
あのな、お前は確かにまじめで、よく勉強もする。父さんもうれしいよ。でもな、ものには程度、ほどってものがあるだろう。そんなに毎日毎日部屋に缶詰めになって本ばかり読んでいるのは、それはそれで、心配なんだよ。身体にもよくないし、第一友達づきあいというものがない。
お言葉ですが、お父様。近頃の大学生というものは碌でもないものでございます。自宅アパートで大麻を栽培して学友に売りつけたり、サークルを装って新興宗教やなにやら怪しい団体へ強引に引き込んだりするものでございます。そんな事をする気力すらない、たいていの人々は何のために大学に来たのか、まったくわからないような無為な日々を過ごしているのでございます。ちょっと頑張るところといえばくだらない色恋沙汰や就職活動くらいのものなのです。
いやいや、まあ、確かにそうゆう一面はあるのかもしれないが、まわりの人間というのはお前が考えている以上に色々な人がいて、お前が想像もしないような視点からものを見ているものだ。そう表面ばかりでを判断してしまうのではなく、実際に友達づきあいをしてみてはじめて見えてくるものもあるだろう。
大学生活というのは勉強ばかりではない。まあ、留年して6年も大学に通った父さんがいうもの変な話だが、学生時代には学生時代にしか経験できないものがあるのだよ。
わかりました。お父様のおっしゃる通り、友達づきあいというものをしなければならないことがよくわかりました。それでは早速友達のできるハウツー本を注文……
いやいやいや、それがよくないと言っているんだ。何も知識だけ詰め込んでもしょうがない。こうゆうことは実践しなければ意味がないんだよ。
いくらお前が堅いといっても、だれか遊びに誘ってくれる人がいたりしないのかい?
あ。それで思い出しました。今日学生食堂でお昼をいただいておりますと、そこに源兵衛さんと太助さんがいらっしゃいまして、今日の夜に中野で大変流行のお稲荷様があるから、そちらへ一緒にお参りに行かないかと誘われておりました。言ってもよろしゅうございますか。
源兵衛と太助?……!あ、ああ、ああ。そうかそうか、そういう手で来たか。古典通り……
何か?
いや!何でもない。うん。そうだな。お前もあれだろう。神信心のことについては確か……
そうでございます。わたくし、日本古来の神社仏閣に大変惹かれておりまして、卒業論文も元禄年間の神社の果たす社会的役割……
ああ。いい、いい。ここはゼミじゃないんだ。そんな話をしろというんじゃない。そうそう。中野駅のすぐそばにな。お稲荷様があるんだよ。父さんも若いころは日参したもんだ。あんまり熱心にお参りに行くもんだから親父、お前のおじいさんからこっぴどく怒られたこともあった。留年したのもそれが原因みたいなもんなんだよ。
そうでございますか。お父様がそんなに信心深かったとは存じませんでした。では、いかがでしょう、お父様もご一緒にお参りに……
いやいや、わたしはもう年であまりやりすぎると身体がキツい。次の日の仕事にも響くのでな。
身体が……?そんなに厳しい道のりなのでございますか?中野あたりでそんなところがあったとは。
いやいや、道程が大変なのではなく、お参りの中身が……まあ、いいや。今夜と言ってたね。さあさあ、早く支度をして、源兵衛と太助に連絡して中野駅で待ち合わせということにして。
それでは、早速でかけてきます。
おっと、待ちなさい。お賽銭を持ったかい?お賽銭がないとお稲荷様に入ることもできないからね。足りないことのないようにね。それから、水も持っていったほうがいい。……ん?そうだ、中は大変な熱気になる。脱水症状になっても事だからな。それと着替えも持って行った方がいいな。あとタオルも……


おい。
ん?
おい。源兵衛よ。あのボンボンほんとに来るのかよ?
くるよ。ほら見なよ。メールでこんなご丁寧なモンが届いてるんだぜ。しかも、送信前後にこれから送りますと到着しましたかの確認の電話付きよ。だったら最初から電話すりゃいいじゃねえか。なあ。
でも、あいつアイドルなんかに興味なさそうだけどな。わかってんの?
いや、だから、これはお稲荷様へのお参りってことにしてるんだよ。
はあ?なんだよそりゃ、騙すにしてももうちょっとなんかないのか?
いやいや、これは俺のアイデアじゃないの。あいつの親父がさ、ミクシィの俺のコミュに来てさ、自分の息子が堅くてどうにもならない。勉強ばかりしていては人づきあいができるのか心配だ。ついてはどうかあいつをコンサにでも誘ってやってくれないか。そのままコンサートと言ってしまうと来ないだろうから、お稲荷様参りだとだまして誘えば来るだろう。よろしく頼む。とこうまで言われちゃったらさ、断ることはできんでしょう。
でもよ、そんな嘘通じるのかよ?第一めんどくせえしさ。
それがさ、お礼として今回のチケ代グッズ代は全部向こう持ちだっていうんだからオイシイ話じゃねえか、って、おい、見ろよ。来た来た。
ぼっちゃーん!ぼっちゃーん!若旦那っ。こっちこっち
すみません。出がけに父が色々と準備が必要だからと持たされまして。
へえ。なんかバックパックにいっぱい入ってるみたいだけど、何持ってきたんです?
はい。水は必要だからと500mlを2本。着替え用の下着とタオル。靴も動きやすくなくては駄目だとスニーカーに履き替えて、お金も5万円ほど持ってまいりました。
ははーん。準備万端ってやつですね。どうだい、もののわかった親父さんだろ。
それと、父からお二人に言付けがあります。
お、何でしょうか?
わたくし、何しろお参りは初めてでございます。色々と不調法もあることと存じますが、よろしくお引き回しのほどお願いいたします。
ああ、いいですよわたしらもう常連で、お前いつもいるから「おまいつ」ってなもんで、大船に乗った気でいてくださいよ。
それと、本日の入宮料ははばかりながら、わたくしが持たせていただきます。また、中で千社札やお守りなんかを買うことがあるかも知れませんが、それもお代はわたくしがもちます。
おほっ、きたきた。いや、ぼっちゃんそれはありがたいんですが、さすがに全部というのは気がひけますやね。半分くらいはこっちもだしますよ。
あ、それはダメです。あなた方は碌でもない方々、札付きです。そんな方にお金を出してもらう謂れはいっさいないっ!
なんだい、おい。急にテンションが高まったよ……ははあ、親父さんに言われたことをそっくりしゃべっちゃってんな。まあ、いいやな。行こうじゃねえか


ってんで、中野駅前の信号を渡り、会場のサンプラザへ向かいます。


源兵衛さん!源兵衛さん!
何だい。うるさいな。
ずいぶん人出がありますね。
ええ。そうでしょう。このお稲荷さんは人気がありますからね。一昔前はもっとすごかったんですよ。横浜アリーナとかSSAとかをいっぱいにしてね。
?それはどちらですか?
ん、ああ、それはね、横浜とかさいたまにはこのお稲荷さんの分社があるんですよ。そちらのお社は大層大きかったと、まあ、こうゆうお話で。
なるほど。……源兵衛さん!源兵衛さん!
なんですか。
皆さま、何かこう、色々な色の服を着てらっしゃいますね。
ん、ああ、そうそう。この……えー、氏子たちもね、それぞれに信奉する神様がありましてね。その御神体ごとに色分けがしてあるんですよ。今日だとあれかな、水色とかね橙、黄色の神様がおおいかな。
へえ、そうなんですか。不思議なお稲荷様ですね。
さあさあ、入りますよ。入場券を買ってね。はいはいはい、いやあ、わくわくしますね。
源兵衛さん。あそこに並んでいる方々は何をしているんですか?
ん?ああ、あそこは千社札とかね、おみくじが引けるんですよ。寄って行きましょう、寄って行きましょう。
……源兵衛さん、これはまた大きなおみくじでございますね。A4サイズくらいありますよ。
そうでしょう。御利益もそれだけありますからね。どれどれ、開けてみてくださいっと、お、出ましたね。
なんでしょう。何やら女性の写真がでましたが……
ははは。これが弁天様ですよ。高橋愛。若旦那、なかなかいい調子ですよ。太助、おめえはどうだい。
あたた。光井だ。こりゃ幸先わるいね。
へっ、しょうがねえなあ。よし、おいらもっと、あちゃーリンリンだあ。若旦那どうもあっしら今日は今一つみたいです。まあ、お堂の中に入りましょ。
……これはまたずいぶん、いろんな方が……あ、あの方先ほどのお店で売っていた千社札を体中に貼りつけていますよ。
おう、あの人はね最近めっきり見かけなくなりましたが、ああやって信心深さを示しているんですよ。修行中なんです。
はあ、修行ですか。あ、あれはなんですか。
ああ、あれは御神木の欠片ですね。お参りの時にはあれを振るのがならわしなんですよ。
なんだか、光っていますが……
そう。霊験あらたかでしょう。
あ、源兵衛さん。あれは……


あれは、あれはと質問に答えるうちに、コンサート開演の時間は迫ってまいります。会場のBGMが切り替わり、客席からはメンバー名を叫ぶ声もちらほらあがってきまして、


わあああ。どどど、どうしたんですかみなさん。
ははは。いよいよ御巫女様がご登場ですからね。木遣りの掛け声ですよ。
ああ、急に暗くなりましたよ。
さあ、来ますよ来ますよ。


さて、会場は俄かに暗転し、サイレン音が響き渡ると、ウサギの恰好をした娘たちがステージに現れる。さあ、この状況をみて、さすがの若旦那もこれがお稲荷様でない。とそのことぐらいは察しがついたようで、


源兵衛さんっっっ!!!!
わあ!なんですか?
こ、こ、こ、こ、ここはお稲荷様じゃありませんね!
あら。気づいちゃいました。
気づいちゃいましたじゃないですよ!だだ、だましたんですね、わたしを。
いやあ、まあ、それは申し訳なかったです。でもね、これはこれで楽しいんですよ。
ああ、こんなところに来てることが父に分かったら。わたしは勘当です。
いやいや、今回の件はね、あっしらの一了見じゃないんですよ。あなたの親父さんからね、頼まれたんですよ。
ううぅ。確かにうちの父は大学を留年したりして堕落しているひとです。そういうことを言いかねない。一度そういう風に堕落した人は、結局元には戻れないんです。フォースの暗黒面に落ちてしまった!
自分の親でしょ?ずいぶんな言いざまだね。
それによく見れば、まわりの人たちもまともな人なんかいやしない。廃人やキチガイ、社会的落伍者ばかりです。
おいおい、めったなこと言うもんじゃないよ。殴られるぜ。
……帰ります。帰ります。
いや、若旦那。待ってくださいよ。
帰りますっ!
ああ、みんなこっち見てるよ。いや、若旦那。若旦那ってば。おい、太助。おめえもなんか言ったらどうだ。
さゆー。さゆー。
聞けよ、人の話を!
ん?いいじゃねえかよ、ほっとけば。そんな駄々っ子の面倒見てる暇なんかねえや。さゆー。
でもよ、ここをしくじると大旦那から後で金返せとかなんだとか色々言われるぞ、きっと。
ちっ、しょうがねえな。若旦那、いいんですよ。帰りたければ帰っても。でもね、入る時荷物チェックされたでしょ。そうそう。あれね、荷物を見てるようで実はそうじゃないんですよ。あれは、どんな奴が何人入ったかってのを記録しておく時間を稼いでいるんですよ。なぜそんなことをするかわかりますか。
コンサ会場にはちゃんとした客だけじゃない、違法で写真を撮ったり、録音したりする不届き者がいるんです。チケット買って入っておいて開演間もないうちにでていく、これはいかにも怪しいでしょう。そうなりゃ、こいつはあやしいってんで捕まって控室に連れてかれる。いずれにしろ帰ることはできんでしょうなあ。
……うう。なんと酷いところでしょう。わかりました。あきらめて居残るしかないようです。


さて、そんなこんなでコンサートのセットリストも進んでいきますが、この旦那のまわりだけ死んだような淀みかたで、


おい、源兵衛、源兵衛よ。やっぱほんとに帰そうぜ。この旦那。さっきから陰気くさくていけねえよ。
ままま。旦那、ほら御覧なさいな。ステージではかわいい子たちが舞い踊ってますよ。せっかくなんですから、ね。
触らないでください。ほっといてください。話しかけないでください。このロリコン。ケダモノ。
旦那、終いにゃあたしも怒りますよ。そりゃ、こういうところはあなたが読んできたような、見てきた様な世界とはかけ離れた場所かもしれません。
でもね。こういうところにはこうゆうところなりのしきたりがあるんです。ステージにいる子たちもね、こういうエンターテインメントを提供するために厳しいレッスンを積んでいるんです。舞台セットを組んでいる人たちも、曲を作る人たちも、まあ、いろいろ言われてはいるけれど、楽しい空間を創りだそうと、辛い日常を忘れられるようなモノにしようと知恵を絞っているんです。
あなたは上っ面だけをみて自分で判断しようとしていないでしょう。本で読んだ知識だけじゃなく、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で触って。
それでいいか悪いか決めてみたらどうですか。それでも駄目だっていうんならしょうがないですよ。……あたしらはね、後ろの方のあいてる席に移りますから。


さて、そんなこんなで源兵衛と太助は2階席の後ろに陣取りOAD、MIXと打ちまくって、コンサートもアンコールとなりました。


よう、太助よう。さっきはちょっと厳しかったかなあ。
いいんだよ。こんなとこまで来てぎゃあぎゃあ騒ぐあのボンボンがいけねえんだよ。それに、もう今頃はおうちで布団に包まってるぜ。
お、おい。見ろよ、あれ、若旦那じゃないか。
ええ?あ、ホントだ!推しジャンプだよ。うわ。それにしてもえらいがっつき様だねえ。のべつ跳んでるじゃねえか。
よし、ひとつ行ってからかってやろうじゃねえか。


旦那、旦那。
れいなー。れいなー。
旦那!こら。
おっ、源ちゃんにたーさん。
なんだおい。ずいぶん態度がかわっちゃったね。どうでした、コンサートってもんは、なかなかよござんしたでしょ。
むすーめ、さいこー!どどんがどんどん!むすーめ、さいこー!
人の話をききなさいよ!
れいな!れいなと目があいました。
おう、そうですか。それはおめでとうございました。まあ、こんなこというのもなんですがね。そういうのはあんまり真に受けないほうがいいですよ。大抵勘違いだったりするんですよ。
手を振ってくれましたし。にこっとわらってくれたんですよ。
ああ、そうですか。それはよござんしたね。分かりました。……何だお前、何食ってんだよ。
むぐ、むぐ。ん、甘納豆。
……唐突すぎるだろうよ。今食うな、今。
古典の形式は抑えとかないとね。
こんな噺とっくに古典じゃねえよ。……旦那、旦那。さあ、帰りましょう。
いや、まだおつかれいなも言ってないし、おやさゆみんも……
そんなのにいつまでもつきあっちゃいられませんや。旦那あっしら先に出て帰りますぜ。
ええ。帰って御覧なさい。出口のとこで捕まっちゃうから。