まずは曲を。話はそれからだ。

こんばんは。毎度ありぃをもう五回は見返しているとうふです。

深夜延々歩いて辿り着いた実家でぼろぼろのまま娘DOKYU!を見ました。
懸案だった久住さんにアドバイスする高橋さんの回も上手く撮れていたようでなにより。
高橋さんの発言内容云々についてはもう様々な方が深慮、熟考、他角度からの考察を加えたことと思うのでわたしは何も触れません。*1
問題は久住さんについてのこと。番組が現体制になってから久住さんのレッスン過程、その舞台裏の奮闘振りをオンエアに架けている回がもうかなりの分量流れています。
それらをすべて見た訳ではない上で、多少粗漠な感想を述べさせてもらうなら、教育係として奮闘する道重さんをはじめ先輩諸氏の所業が印象的な一方で不思議と肝心の久住さんのインパクトが薄い。
歌やダンスそれ自体が拙いのは仕方が無いところだとは思うんですが、その存在感というか押し出しの弱さは現時点では如何ともしがたいものがあるように感じます。
ここからは半ば希望になるけれど、久住さんの凄い点の一つに吸収力の早さがあると思うんですよ。オーディションのときにつんくさんが拘ったのもそこの点だったし。その彼女が先輩たちから一つ一つ技術を吸収することで、表面だけでなくより核心の部分が輝くようなことになれば、普通の女の子が教育の力によって輝きを放つという奇跡が生まれるのかもしれない。それこそが「ミラクル」なんじゃないかと。そこは見るべきひとつのポイントではないかと思いました。
そして、この番組を見ると本当に細部にいたるまで当人たちは拘っていることがわかります。これはこちらとしても実演でしかと見て汲めるものを汲みつくすくらいの姿勢で臨まないと。
あと、久住さんはえらく綺麗になってました。いや、モトから? そこも確認しないと。
さあ、コンサートに向けて視点は明確になってきたぞ。こうして見るべきものをしっかりと決めて見ないとモトが取れないと考えちゃう貧乏性なもんで。

ところで、話題の新ユニットについてはわたしの考えは表題のとおりです。個人的に現在のハロプロ関連での喫緊の課題は、紅白対策でもなければ外注問題でもカラオケコンでもガッタスでも郵政民営化でもなく、ちゃんちゃかチャーミーのここ数回のフロントとバックスの噛み合わせの悪さだと思います。

*1:というのもあんまりといえばあんまりなので一点。芸事というものは往々にして、振り返ってみて初めてこれまでに指摘注意されたアドバイスの意味が実感できるものだと思います。最終的な理想形の型を絶対的に遵守し繰り返し染み込ませ体得する道程も、課題をその都度その都度洗い出し判断し試行を飽くほど繰り返しながら自らの技術を積み上げていく道程も求めることは自分の内なる表現衝動をどのように的確にあらわすかという一点に尽きるのではないでしょうか。そして、その方法は当人にしか摑み得ないもので、言葉にはできない内なる感覚の世界の問題だとおもいます。そういう意味で高橋さんが久住がやるしかないと一見突き放すような物言いになったことは非常に理解できるんですね。その感覚は残念ながら久住さんが自分で摑むしかない。高橋さんが言えるのは高橋愛が摑んだ骨法でしかないから。ただ、久住さんにしてみれば何がきっかけになるかわからないのもまた事実なので、情報を多く得る意味でも高橋さんの方法論を知りたかったかもなあ、とも思います