千日の感想

私は動悸だ。
コンサート開演前に舞台袖で待つメンバー各々の胸の中で脈打つ、昂りの動悸だ。私は、その多少はあるにせよ誰もが抱く緊張と不安を高め、筋肉を強張らせる。田中れいなを無口にさせ、久住小春の肩を大袈裟に上下させるのもこの私に他ならない。人の字を掌に書いて嚥下する者もいるが、その程度のことでは私は消えたりはしない。私を克服するには、結局のところ開演を待つ以外に方法はないのだ。幕が開きさえすれば、メンバーにもスイッチが入り、『HOW DO YOU LIKE JAPAN?』でフロアを恰もロックスターのごとく大股で闊歩する新垣里沙の様に、私のことなどきれいさっぱり忘れてしまうのだ。だが、私もみすみす消えたりはしない。コンサート中でも、機会を窺っては顔を覗かせる。
日曜夜に『愛あらばIT’S ALL RIHGT』の亀井の「ハイ!」の声を裏返らせ一矢報いたのは、この私だ。


私はマイクだ。
ドイツの誇る音響機器メーカー、ゼンハイザー製の、一本数十万円は下らないと目されるマイクだ。私は持ち主の別無く、その声をありのままに届ける。たとえそれが、会場も震えよとばかりにパワーを発する『銀色の永遠』の藤本美貴の歌声であっても。また、迫力を出そうと頑張ってはいるが、いかんせんコントロールが効かずに振り切れ気味の『HOW DO YOU LIKE JAPAN?』における久住小春の「美人揃いのジャパニーズ」のパートも、その不安定感まで余すところ無く伝えている。だが、そんな私でも日曜夜の『レモン色とミルクティ』の歌いだしの亀井にはなす術が無い。歌詞忘れかパートの勘違いかは知らないが、完全に歌を飛ばされては私の出る幕は無い。伴奏のみがPAで虚しい大音量を響かせるだけになってしまう。こんな時、何人かは私の不手際なのではないかとあらぬ嫌疑を掛けてくるが、まったくお門違いもいいところだ。
あれは、完全に亀井が歌い出しを間違えたのだ、道重さゆみと目配せしていたのが何よりの証拠となるだろう。


私は紹介モニターだ。
日本全国に散らばるメンバーの出身地をバックにあしらった、自惚れ気味に言わせてもらえば相当にクールな紹介モニターだ。更に私は、これまでのモーニング娘。シングルディスクグラフィを28枚に亘って立て続けに連発し、会場の昂奮と期待をいやが上にも高めさせる。ところが、その私が作り出した流れに乗って現れるのは『SEXY BOY』なのだ。巷で噂のウエウエな例の振り付けは、舞台上でうへうへ笑いながらやっている亀井を筆頭にメンバーの頭を二段階くらい悪く見せ、それに飽き足らず、会場を埋めるヲタ共の頭を実際にアホにさせている。
それにしても、ウエウエのフリより「Fallin’ Love」の下へ指差すところのほうが会場のシンクロ率が高いのは何故だろう。


私は名古屋市民会館だ。
日本の地方オーケストラの中でもトップランクの実力を誇る名古屋フィルハーモニー管弦楽団をはじめ様々な団体、また、アマチュアにいたっても名古屋大学合唱部など市民に密着し親しまれている名古屋市民会館だ。しかし、この週末は多少様相が違っていた。私の前の道路には様々なペイントを施した車が停まり、それを追い立てる官憲の声が喧騒を奏でていた。会場前の歩道には露天商が並び、只ならぬ雰囲気を醸し出していた。闇のテキ屋が売り捌く写真は、そのアングラ度に比例して、一目にして違法感漂うコンサート中の亀井や通学中と思しき田中れいなのリアル制服姿だったりするのだ。
その写真の禍々しさに、私は音無く軋んだ。


私は亀井絵里ソロセットだ。
顧客の財布の紐を緩めるだけ緩めさせるのに、決して対価に見合った効用を与えない、経済学的見地からも非常に稀な商いを、もう、かなりの間続ける事務所が売り出す、お馴染みの亀井絵里ソロセットだ。今日もまた、亀井と名がつくものなら馬糞でも買うような、価値基準のあやふやでけじめの無い連中を狙って、私が大量に売店に入荷された。そこにまた一人やってきたのは、ついさっき名古屋駅近鉄ビルのタワーレコードでCDを二万円近く購入してきた馬鹿な男だ。この男は、CDが十枚もあるのでそれを入れる袋を買うため、と誰聞く者も無い言い訳を心の中で唱えながら、結局私を買うことになった。
お買い上げ、しめて四千五百円、ご苦労なことだ。


私はタンクトップだ。
亀井推しと見受けられるヲタにより、ロビーで堂々とその鍛えられた逞しい上半身も露わに着替えられたタンクトップだ。これから一時間四十五分の長旅を終えた頃には、私は濡れ雑巾のように絞れば雫の滴り落ちる身と成り果てるだろう。宿主は、その推しメンである亀井をインストラクターと仰いで、有酸素運動にしてはあまりに長く間断の無い動きをひたすらに続けるだろう。『女子かしまし物語3』では、そんなインストラクターに従い、サビで腕をほかの誰よりも強く激しくぶんまわすに違いない。だが、そんな彼でも『直感2』だけは道重さゆみを見るべきだ。彼女の二つ縛りにした髪が床を掃くような前屈、踝が顔の高さまで上げられるキック、両手を掲げる場面では腰を入れて反るようにして上げるのだ。正に間然するところなし。
この一曲で三曲分の汗を吸った私は、浅黒い肌にぴたりと張り付いた。


私は嬌声だ。
コンサート開演前にヲタ共が会場の至る所で上げる嬌声だ。私は、恰も野犬が上げるそれのように周囲に自己の存在を認識させ、声を上げる者の心を奮い立たせ、女子供を震え上がらせる。大抵の場合、私は各々の推しの名前の姿をしている。曰く「れいなー!」「こんこん!こんこん!」「あいちゃーん!」「えりー!」多少変則的なもので「ミキサマ!ミキサマ!」「やよー!」などがあるが、日曜夜には私自身にとっても意外な姿になって発せられた。「えりさまー!」亀井に「様」付けである。
これにはさすがに吃驚し暫く会場を漂ってたが、開演を告げるフラッシュライトに照らされて、私は蒸発した。


私はレインボーピンクだ。
コンサート中盤、MC明けで一陣の嵐の如く挟み込まれる、レインボーピンクだ。私のこの勢いに寄与しているのは、何といっても重ピンクこと道重さゆみのキレの鋭いダンスである。「雨の日もレインボー」のところで上手に向かっていくときの、腕の振り、伸ばし、キレ、止め。元来、体力的に余裕の無い彼女だが、今ツアーではポイントポイントに120%を注ぎ込む戦法に出ているようだ。私もその内のひとつに選ばれ、うれしい限りだ。省みるに、久住小春にはもっと頑張ってほしいと切に願う。「スラムダンク」の安西光義監督の言葉を借りれば、「道重のプレーを見て、彼女の3倍練習しなさい。そうでなければ、今ツアーのうちには到底彼女に追いつけないよ」ということだ。
まあ、『色っぽい じれったい』では亀井に追いついているので、よしとしようか。


私は多幸感だ。
『青空がいつまでも続くような未来であれ!』を会場一体となって歌うときに、各々の脳内に大量分泌される多幸感だ。私は、そこいらの値は張るくせに効果は安いドラッグや内臓を痛めつけながら体内を暴走するアルコールが齎すそれとは全く質の違うハイを生み出す。壇上と会場が一体となり、途中の転調で音が高くなったキツさをものともせず歌い上げるその瞬間。そこには、何にも増して素晴らしいコンサートの醍醐味が存在するのだ。
中でも、にまにま笑う亀井や目が無くなるほど笑顔の新垣里沙に私は集中して現れる。


私はスニーカーだ。
メンバーの痛めた足を労わり、激しいダンスによる衝撃を少しでも弱めようと奮闘する白いスニーカーだ。土曜日曜共に私は藤本美貴の足元で彼女を守るため、自らに課せられた使命を懸命に果たそうとしていた。彼女が足を痛めた理由、それは私にはどうでもいいことだ。私は私の仕事をするだけ。しかし、そんな私でも『女子かしまし物語3』で異様にテンション高くキレキレに踊られた日には、お手上げだ。特に土曜日は、一体何が楽しいのか、えらく吹っ切れた動きをしていた。踏みつけられ微かにゆがんだ私は、傍でゆらゆら踊る亀井のものだったら、これ程の苦労も無かったろうに、と一瞬考えた。
だが、そんな亀井の足に私は必要ないだろうと思い直し、圧し掛かる荷重を支える本来の役目に没頭した。


私は角度だ。
INDIGO BLUE LOVE』のフリで新垣里沙がマイクスタンドに絡み、上下するときに見せる、見返り状態で少し上を向いたときの顎のラインが作り出す、絶妙の角度だ。エロティックを前面に出した振り付けで、私はとりもなおさず重要な位置を占めている。三人の中でも、新垣里沙は私を完全に計算し、手中のものとして駆使している。手の動きの艶っぽさも一つの完成形に達している姿には、私ですらドギマギさせられる程だ。下世話な話だが、あたかもアメリカあたりのポールに絡みつくストリッパーの如き踊り。1,000ドル札をその下着に捩じ込みたくなる。
亀井には50セント玉を呉れてやろう。


私はボールペンだ。
コンサート終演後に、電車待ちのホームで今しがた見た内容を忘れまいと、ヲタが懸命にメモ帳に走らせる三菱パワータンク0.7mmのボールペンだ。コンサートの興奮と記憶が霧散しないうちにとのあせりでヲタの手は速度を増し、字面も荒れに荒れている。3hpaのインク加圧によっていかなる状況でも記字する私も、この酷使にはいささか閉口気味だ。それにしても、慌てて書き付けていることが、『レモン色とミルクティ』でよっしゃよっしゃよっしゃのフリがあっただとか、『ザ☆ピ〜ス!』の久住セリフが「きらりん☆レボリューション」でよく見られる、たっかい声での棒読みだったとか、『さよなら SEE YOU AGAIN アディオス BYE BYE チャッチャ!』の道重セリフの強弱抑揚が凄いだとか、どうでもいいことばかりだ。極めつけは『友達(♀)が気に入っている男からの伝言』での亀井の入れ込み具合、ウザさがなっちレベル。
私はそんなことを書くために生まれてきたのではないのだ。


私は動悸だ。
コンサート終演後に観客各々の胸の中で脈打つ、昂りの動悸だ。私は大音量のPAに長時間曝された耳鳴りと共にひとりひとりの中で燃え続ける。コンサート中の忘我の昂奮が冷め切らない者たちは、それぞれ私を何とか再燃させようと、近場の居酒屋でアルコール燃料を注いでみたり、レポと称するテキストの薪をくべてみたりして私を焚きつける。だが、私はコンサートの一時間四十五分の中のみでこそ、焔をあげ煌きを見せるのであって他のいかなる手段をもってしても再現は不可能だ。それでも、胸の中に一度着火した私は、熾きの様にじわじわとヲタの心を焦がし、深夜、帰路に付く彼の叫びだしたい衝動を沸点にまで持っていく。
その後、数日続いた私がどうやら風邪の始まりだと気づいたのは、だいぶ後になってからだった。