ときどきこうゆうことがしたくなるんです。ごめんなさい。

今日1月12日は光井愛佳さんのお誕生日です。おめでとうございます。


二十一世紀に生きるミッツィーたちへ


わたしは娘。ブログを書いてきた。
もともと娘。が好きなのである。両親を愛するようにして、娘。を愛している。
モーニング娘。とはなんでしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何人というメンバーの人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。


娘、の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
この楽しさは―もし貴女さえそう望むなら―おすそ分けしてあげたいほどである。


ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、貴女だけが持っている大きなものがある。モーニング娘。の未来というものである。
私の人生には、すでにして限りがある。例えば、どれほどモーニング娘。になりたくとも、それはかなわぬ夢であるにちがいない。
貴女は、ちがう。
モーニング娘。の未来をたっぷり見ることができるばかりか、その輝かしい担い手でもある。


もっとも、私には未来のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは娘。から学んだメンバーとしての生き方の基本的なことどもである。


貴女は、いつの時代のメンバーもそうであったように、自己を確立せねばならない。
―自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
自己といっても自己中心におちいってはならない。
モーニング娘。は助け合って生きているのである。


助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。
私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、メンバーの誰かがつらい状況にいる。ああ、大変だろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根付いていけば、他者へのいたわりという気持ちもわきでてくる。
貴女さえ、そういう自己をつくっていけば、モーニング娘。の未来は皆が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。


娘。のメンバーはいつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。ファンというのは、男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。
もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしいモーニング娘。”になっていくのである。


以上のことは、いつの時代になっても、モーニング娘。として生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。
光井愛佳さん。貴女はつねに晴れ上がった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、貴女の心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
書き終わって、貴女の未来が、いつまでも続く青空のように晴れわたっているように感じた。